金田一春彦「日本語・下」 pp50ー51 (P50)  言語の系統を考えるには    それでは一体どのような場合に、一つの言語がほかの言語と同族だと考えられたか。よく言語学に素人の人は、同じような単語がある、だからこの二つの言語は関係がある、と結びつけてしまうことがある。イタリア語などは日本語と発音全体が似ている。 (P51) そうして「たくさんの」ということをイタリア語でtanto(タント)、「たくさんのお金」というのはタント・ダナアロというふうに言って、日本語と似ている。また、ハンガリー語では、塩気が足りないのをシオタランという(見坊豪紀(けんぼうひでとし)『ことばのくずかご』)のも似ているが、これはほかにそのような例がないから無効である。フランスとスペインの間に少数の人たちによって話されているバスク語というのがあって、そこでは、日本語で「こればかりだ」という時と同じ意味で、やはりコレバカリダと言うそうだ。はじめて聞く人はびっくりするが、調べてみると、ほかには同じような言葉は一つもなく、偶然の一致と見ざるを得ない。  さらに、南米ブラジルの裸族の中に、グアラニー族というのがあって、ここでは自分をオレと言い、「行こう」をイコウというそうで、一瞬、もしゃと思う(『ことばのくずかご』)。恐らく文法構造などは日本語とは似もやらぬ言語と想像され、オレやイコウは、日本語の中でも後世の変化した形で、それに似たものがあっても、偶然だろうとしか思われない。  同系語の証拠  それでは、どういう言語があれば、同系の言語と言えるか。一から十までの数をどのように言うか、比較したのが次ページの表である。日本語では「いち」「に」「さん」……とも言うが、これは中国から来た言葉で、「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」・…・がもともとの言い方だ。英語ではone, two, threeであるが、フランス語とスペイン語とイタリア語とはそっくりだ。一を表わす単語が、フランス語・スペイン語・イタリア語とで二つずつあるのは、男性名詞のときと女性名詞のときとで違った言い方をするからである。そんな区別をするという凝ったところまでよく似ていて、偶然とは到底思われない。英語とドイツ語はそれとは違うが、やはり大きく見れば似ている。 (P52)  そうしてよく見ると、2と10は英語ではtwo, tenのように、子音がtであり、ドイツ語ではzwei, zehnというように揃ってzになっている。フランス語・スペイン語・イタリア語では、すべてdになっている。このように、2と10のような、関係のない数がちょうど同じように子音が入れかわっていることは、偶然と見ることができないので、比較言語学という学問では、これは同じもとから分かれ出てきたという強い証拠と考えるわけである。すなわち、この2と10とは、これらヨーロッパの言語が分かれる以前にはtかzかdかであった、あるいは、これらがすべてそこから出たというような第四の音―ー例えばdhというような音だった、それが、ちがった方向に変化して出来たのが今日のヨーロッパ諸語だと考えるわけである。  こういうことは、このような数を表わす言葉だけでなく、「父」でも「母」でも「兄弟」でも「姉妹」でも、日常使われている多くの言葉にも通じて見られることである。  同系統の言語を探る  このように見ていくと、わが日本語では数詞は、ヒトツ・フタツ・ミッツ・ヨッツ.....と言って、似ているものは全然ない。朝鮮語ではhana, tul, set.....と言い、アイヌ語ではshine, tu, re.....で、近くにいながら似た形をしていない。それで、世界の言語の中では、どうも、日本語は孤立した言語だ、というふうになるわけである。これについては、日本語に似た言語がないのはどうも残念だというわけで、何とか同じ系統の言語を見つけようとした学者がたくさんいた。太平洋の島々の言葉と日本語を比較して見た人、南米の言葉と比較した人もあったが、どうもうまい証明はできなかった。