金田一春彦「日本語・下」 pp10ー20 (P10)  文節の頭は漢字で 日本語は、そういうわけでいろいろな文字をあわせ用いていることから、いわゆる文節の頭がわかりやすいというようなことがある。つまり、多くの場合、名詞や動詞・形容詞の語幹の部分は漢字で書かれ、助詞の類いや動詞・形容詞の語尾の部分は仮名で書かれるからである。そのために日本文は、余白なしに「雪の降る町を思い出だけが通り過ぎて行く」と書いてりっぱに読める。もし、これを仮名ばかりで書くと、「ゆきのふるまちをおもいでだけがとおりすぎてゆく」と、分かち書きをせざるをえない。さらに、ローマ字の場合にはもっとこまかく分けて書かなければ、読みにくい。  こういうことから、文節のはじめを仮名で書きはじめ、途中を漢字にするということは好ましくない。   婦女子がら致される(拉致) 就職をあっ旋する(斡旋) 山間へき地(僻地) (P11) などというのは、常用漢字の中にないからというので、こんな体裁になっているが、こういう言葉は使わないに越したことはない。どうしても必要ならば、常用漢字の中に入れた方がいい。  また、日本語には句読点や「」のしるしが発達しなかったと言われるが、日本語の場合にはそういうものがなくても、まあ、それほどは困らないのだ。谷崎潤一郎の『春琴抄』には、しばしば句点が落ちているが、何とか読める。樋口一葉の『たけくらべ』は全然引用符がなかったが、信如の言葉とみどりの言葉を取りちがえて読むことはなかった。  しかし、こんなことから、不当に句読点を惜しむのはまずい傾向だ。上月木代次が言っているが、刑法第一三三条に、   故ナク封緘(ふうかん)シタル信書ヲ開被(かいひ)シタル者ハ・…・ とあるが、これは「故ナク」のあとに「、」が必要だ(『言語生活』昭41・7)。  カタカナのよさ  ここでちょっとカタカナのよさに触れると、カタカナがあるために、日本人はどの単語が外来語であるか簡単にわかる。つまり、そこのところは急ぐときは意味がわからなくても読みとばしてもいい。これが中国あたりだと、外来語をすべて漢字で書くから大変だ。コーヒーは新しく漢字を作って「珈琲」と書くが、在来の漢字を使おうとすると、漢字はなまじっか一つ一つが意味をもっているから使いにくい。バスは「巴士」、タクシーは「的士」と書き、何か兵隊の種類のようだ。マルクスは「馬克思」、レーニンは「列 (P12) 寧」、シェイクスピアは「渉士比亜」、ガントは「康徳」という調子で、マリリン・モンローは「馬麗蓮夢露」となるという。日本では、だいたい耳に響いたところをカタカナで書くから実に世話がない。  文字併用の短所  しかし、いい面があるとどうしても悪い面があって、それはまず日本語の文字教育が大変だということがある。そのほかに、日本語で書いた者は印刷がめんどうだということもある。欧米では、机の上に載る程度の活字箱があれば、どんな文章でも自由に印刷できるそうだ。日本ではそうはいかないと言われた。  以前、印刷所では一つの部屋の一方の壁に活字をギッシリ詰めておき、原稿を見ながら必要な活字を拾って歩く、これを〈文選〉というが、「文選一里」といって、つまり、新聞の一ページに必要な活字を箱に拾うだけで一里(約四キロメートル)ぐらい歩くと言われた。次には拾った活字を正しい順序に並べる〈植字〉という作業をするというわけだ。そうしてさらに、一回使った活字をもとの位置に戻すという作業もあるわけで、日本文の印刷は大変だった。  漢字制限  終戦直後の文部省は、このことを考えて、漢字の制限を断行した。いわく、欧米では、タイプライターが一つあれば、手で書くよりももつと速く、そしてもつときれいな文字が書ける、それに引き換え日本語の方は、漢字・仮名の併用というところから、タイプライターの使用が困難で、カタカナだけのタイプライターならばまあ簡単であるが読みにく (P13) く、漢字・仮名のものにすると能率がすこぶる悪い。これでは欧米の進んだ文化についてゆくことは到底できない。日本人は、漢字の数を少しでも減らさなければならないーーと考えて、当用漢字一八五〇字をきめ、官庁から出る文書はすべてこれでまかなう、一般もなるべくこれに従うようにという法令を出した。これによって、「岡」「崎」「伊」「藤」。…あるいは「挟」「袖」「襟」「裾」・…のような懐しい文字が、原則として仮名で書かなければならなくなった。  筆者はそのころ、まだ文部省国語課の嘱託だったが、一も二もなく文部省を支持し、ラジオに雑誌に漢字制限を論じたものだった。ーーが、三十余年たった一○年ぐらい前から、この考えは捨てた。それはワープロという機械の発明によってである。  ワープロの普及  ワープロとは、一口で言えば、漢字を恐れぬタイプライターだ。たとえば、手紙を出そうとしてまず「拝啓」と漢字で書きたいと思えば、仮名の「は」「い」「け」「い」というキーをたたき、「漢字変換」のキーを左手で押せば、「拝啓」という漢字がすぐに出て来る。もっとも、「背景」という字がまず出て来る機械もあるが、その時は、もう一度「漢字変換」のキーを押せば、今度は「拝啓」という文字がちゃんと出る。であるからわれわれは、その字が書けなくてもいい。読めさえすればそれでいい。そうして三OOOぐらいの漢字は簡単に打ち出せる。  はじめてワープロが発明された時は、日本にまだ五、六台しかなぐコ五、六百万円もした。し (P14) かし、それは見る間に安くなり、五、六十万円になったかと思うと、現在では三、四万円のものまで出来、しかもその性能は、はじめの五、六百万円のものよりはるかによい。これでは、現在テレビが普及しているように各家庭にワープロが入りこむのは自然であり、要は使い方に慣れること、それさえ出来れば、常用漢字の数は三〇〇○ぐらいまでふやして大丈夫である。    三 漢字の表意性  漢字の表意性  漢字の第一の重要な性質は、表意性、つまり、ほかの文字と違って、発音を表すと同時に意味をも表わすということだ。仮名・ローマ字は発音しか表わさない。漢字はそのことから読み手に強い印象を与えるということがある。  たとえば、街を歩いていて、トラックに、硫酸でも積んであるのか、「危」という漢字が書いてあると、ちょっと見ていかにも危険そうな感じがする。これが平仮名で「あぶない」と書いてあったり、ローマ字でョ"abunai"と書いてあったのでは、それほど危険というような印象を受けない。漢字というものは、そういう特別の効果・力を持っている。  漢字の珍しさと使用人口  われわれ日本人は漢字という文字を日常見ていて馴れているが、欧米人の目にずいぶん珍しい文字と映るようだ。神秘的な呪文のように思われるそうだ。 (P15) これは、いつか『週刊朝日』に出ていたことであるが、欧米人にとっては、「東」という字は、音楽家の用いる譜面台に見えるそうだ。「合」の字は、掲示板の向こうに富士山がそびえている形に見え、「映」(映)という字に至っては、人がストープにシャベルで石炭か何かを入れている形に見えるそうであるが、これはおもしろい。  欧米人の中には、日本にいても漢字をとても覚えられそうもないとしり込みする人が多いが、中には、漢字がおもしろそうだから日本語を勉強する気になったという人もいる。少なくとも上智大学には、そういう先生が何人かいた。漢字という文字は、今では、世界で日本・中国・韓国の三国、それに台湾・香港・シンガポールしか使っていない。以前は北朝鮮。ヴェトナムでも使っていたが、やめてしまった。  だが、漢字について注意すべきことは、全世界のうちで、漢字を使用する人口がそれほど少なくはないということだ。欧米人は漢字を珍しがるが、和田祐一が『エナージー』(昭54・2〉に発表したものが、林大監修『図説日本語』に転載されているが、それでみると、世界の各種の文字を使用する人口の比は、ローマ字の八億に対して、漢字は六億、すなわち4対3だという。ローマ字に近い、ロシア文字とギリシャ文字をローマ字に加算しても、ローマ字は一○億になるにすぎないというから、漢字はその半分以上を占める。欧米人をまねして漢字を特殊視することは好ましくない。 (P16)  読み方の難しさ  漢字の第二の性格は、読み方が難しいということである。 二十いくつや五十いくつの文字の読み方を覚えても、ほかの字をどんどん類推することが難しい。たとえば、「病膏盲に入るーーなおりにくい状態になる」はヤマイコウコウ……と読むのが正しいと言うが、今はコウモウと読むのが普通になった。「脆弱ー―もろいこと」はゼイジャクが正しい読み方だが、うっかりするとキジャクと読みたくなる。  外国の言語では、英語やフランス語は読み方が難しいと定評があるが、それにもまして、アイルランド語あたりが有名である。たとえば、   saoghal(世界)ーーsil  lawnamhain(夫婦)ーーlanun とそれぞれ発音するという(ヴァンドリエス『言語学概論』)。たしかに難しいが、それでも綴りと発音が全然無関係ではない。発音が崩れてそうなったのだろうと思われる。そこへ行くと、漢字の「脆」という字は、どこを叩いたらゼイという音が出て来るか、ちょっとわからない。  読めなくてもわかる  どうも、漢字は読み方がわからなくてもいいということがあるらしい。新聞のスポーツ欄に「捕邪飛」などとあるが、果してどう読むのだろうか。ホジャヒ?キャッチャーファウルフライ?わからない。ただし、意味はよくわかる。  この漢字の性質を有効に使ったものは、新聞の求人広告である。たとえば、   事務経理多少 高卒年32迄・固給15万昇給年1賞与年2隔土休 歴持細面 (P17)  これは事務員を求めているものだが、経理の多少できる人、高校卒業程度、年は三二歳までの人とまず推定できる。次に「固給15万」とあるのは、固定給一五万円ということであろうか。「隔土休」は隔週の土曜日が休み。その次の「歴持」というのは、履歴書持参という意味にちがいない。「細面」というのは、べつに細おもての人という意味ではないようで、委細面談という意味と解される。これだけの意味をこんなに簡単に書けるということは漢字なればこそで、仮名やローマ字ではとても書けるものではない。 いつかアパートの広告に「子無限」とあったが、これは子どもはいくらいてもいいというのではなくて、「子無きに限る」の意と推定される。  漢字の有難み  鈴木孝夫は、英語と日本語の多音節語についての、透明・不透明ということを発表している(『言語』昭53・2)。彼は英語の次のような語を四五ばかりあげ、そうして日本語の訳語と対比している。 1 claustrophobia 2 podiatrics 3 otorhinology 4 cephalothorax 5 graminivorous 1閉所恐怖症 2足病学 3耳鼻科 4頭胸部 5草食性 (P18)  鈴木によると、英語の方はある程度の古典語の教育をもつ者にのみ理解されたという。一方、日本語の方は、まず中学生ぐらいだったら、その漢字の意味から推察できそうだ。向こうの中学生が向こうの専門分野の本を開いたら、さぞわからない言葉だらけだろう。漢字の有難みを知るべきである。  筆者はこのようなことを考えると、北朝鮮とヴェトナムが漢字をやめたことを、はたしてよかったのだろうかと思う。たとえばヴェトナムの人名・地名は漢語で出来ている。  ゴーディンディエムーー呉延瑛 ホーチミンーー胡志明   ハノイーー河内 ヴェトナムーー越南  一般の単語もそういうものが多い。もし、漢字で書いてあったら意味がはっきりわかるものが、わからなくなっているものが多いことだろう。北朝鮮の方はよく知らないが、ヴェトナム以上に漢語伝来の単語が多いこと、確実である。  漢字のそういう性質から、漢字を組合わせると新語がいくらでもできることは、上巻(七九ページ)に述べた。  言語・時代を超えて  次に、漢字が意味を表わす文字ということから、書かれたものは、方言・国語を越えて理解が可能だとう大きな働きがある。  たとえば、中国では方言の違いが地域によって大変激しい。そのために耳で聞い (P19) たのでは遠い地方の人はお互いに言葉が通じないそうであるが、漢字で書いてあれば、発音がわからなくてもお互いに意思が通じ合うそうだ。これはいかにもそうだろうということは、日本人でも、中国の新聞を見て、見出しぐらいは大体意味がわかることからもうかがわれる。  韓国でも漢字を使う。韓国にも日本にそっくりの週刊誌があるが、その目次にたとえば「広島原爆( )秘話」とあれば、( )というハングル文字は「の」にあたる文字だろうとそのまま理解がいく。これも漢字の力によるものである。  漢字はさらに、時代のへだたりも超えて理解可能ならしめる。   国破山河在   城春草木深  これは唐の中期の詩人・杜甫の詩で、今から千何百年前のものであるが、第一行は、国は滅びたが、大自然はそのまま生き残っている。第二行は、崩れた城下には人影もないが、ちょうどいま春で、草木だけが青々と茂っている。ーーそういう様子を味わうことができる。これは漢字なればこそわかるのであり、これもやはり表意文字の偉大さである。  漢字の神秘性  こういったような漢字の表意性ということは、さらに進むと、漢字は芸術的な文字であるということになり、さらに神秘的な文字である、という印象を与える。日本には姓名判断というものがあって、自分の名前の字画がよくないといったようなこと (P20) から、気にして字を改めたりするが、これなども漢字に神秘性が感じられて、その形が自分の運命を支配するものであるような気がするところからくるものにちがいない。それから一般に日本人はちがった読み方をされても文句は言わないが、漢字で書かれた名前をちがった字で書かれるといやがる人が多い。菊池寛(ひろし)は、キクチカンと呼ばれることは意に介しなかったが、「池」を「地」と書かれると、その人を無学だとののしった。  日本人は漢字を輸入してから、仮名という日本語にあう文字を発明したが、それでも漢字を「本字」と呼び、これを正式の文字と考えた。出来たら漢字ばかりで書こうと考える場合さえあった。たとえば上巻(四〇ページ)に挙げた欠勤届はその例である。