野村雅昭「ワープロは日本語を変えるか」『Days-Japan』 (P1) 書くことの科学 第六回 ワープロは日本語を変えるか?  早稲田大学日本語研究センター教授 野村雅昭 のむらまさあき 1939年生れ。国立国語研究所言語計量研究部長を経て、現在早稲田大学日本語研究教育センター教授。著者に「漢字の未来」(筑摩書房)等がある。 ワープロを使うと漢字を忘れるのか? ワープロによって、我々の文章行動はどう変わったのか? ワープロで、書く側の個性を生かせるのか? 将来ワープロは日本語をどう変えるか? 等々の疑問はつきない。ワープロと日本語の未来を占うのが今回のテーマ。 ワープロを使うと漢字を忘れる?  ワープロによって日本語は変わるか。今回、この疑問に答えていただいたのは、前回に続き早稲田大学日本語研究教育センター野村雅昭教授。 「ワープロが使われはじめた頃、新聞などでよくそういったアンケートがありました。当時、大半の人が”変わらない”と答えていましたが、私は”かわる”と答えました」  では、どこがどう変わるのだろうか。まず第一に我々は最も切実な問題から聞いてみた。すなわちワープロを使うと漢字を忘れるか、である。野村先生によれば、やはり”忘れる″のである。というのも、 「漢字を読むことと書くことは全く別の作業なんです。漢字を読むときには、我々の頭の中にその字のパターンがあって、それと目前の文字とを一致させているわけですが、その場合の頭の中のパターンというのはかなりいい加減でもいい。もともと漢字というのは、かなに比べて情報量の多い文字です。少し大きな字を一円玉で隠すとしますね。それでも、部分的にさえ見えていればなんの字かわかるケースがままある。1字分でそれだけ情報量が多く、ひっかかりが多いためです。そこで、頭の中の字のパターンが暖昧でも、各種の情報を手がかりに、難しい字も読む ことができるのです」  ところが、書く場合は違う。 「書く場合には、頭の中に一点一画が正確に入っていないと書けない。漢字を読むより、書く方が難しいのは当たり前なんですね。ふだん、よく書く字は覚えてるけれど、あまり使わない宇は覚えていない。忘れます。それを補うには、やはり何度も繰り返し手で書く以外にありません。何度も書くことで、頭の中の曖昧なパターンをかろうじて保つことができるのです」  我々はワープロで漢字を書いているつもりでいても、結局ワープロでは漢字を読む経験しかしていない。書く経験は抜け落ちてしまうといえる。だからワープロだけの生活で、書く習慣を失えば、当然書けなくなるわけだ。 「小学校で教わった漢字が、小学校卒業時点ですべて書けるかというと、そんなことはありません。おそらく高校卒業までの間に、繰り返して書くことで、なんとか小学校で習う漢字くらいは書けるようになるというのが一般的でしょう。もしもワープロがこどもの教育に大幅に取り入れられるなら、こどもの漢宇を書く能力には大きな影響がでるはずです」  一方、ワープロさえあれば、漢字が書けなくていい、という意見もある。 「しかし、その意見には盲点があります。それがワープロの同音語変換です。たとえば、ツイキュウという言葉には、追求、追及、追究の3つがあります。それをいままでは辞書をひいて、意味に従って使い分けてきた」  ところがワープロであれば、辞書をひかずに、ただし意味が不明確のまま、その漢字を目にすることになる。 「我々はいったん漢字化されたものを見せられると、それをなかなか疑えないものです。最初に、たとえば追究がでてくると、他にツイキュウという文字があるとも思わずに、最初の文字を使いがちです。ツイキュウの場合にはいずれにせよ似た意味の言薬ですが、これからは、全く意味の違う同音語を見過ごしてしまい、使い分けられなくなるということが問題となるでしょう」 ワープロで漢字を使うのが便利になったにもかかわらず、実は漢字を正しく使えない人問を作る結果にもなりかねないのである。むろん、ワープロの普及による、プラス面もある。 (topic two) ワープロが日本人の文章行動を変えた! 「これまでの文章の書き万というのは原稿用紙を前にして考え、いったん書くことがまとまったら、一気呵成に書きあげるというのが一つの理想とされてきました。しかし、これは少数の天才にしかできない。たいていの人は、頭の中がまとまらないうちに書きはじめて、書いては破り書いては消すということを繰り返して書くことになる」 推敲の手間が我々を書くことから遠ざけていたのは事実だろう。 「推敲を億劫がって文章を書かなかった人たちにはワープロは福音でしたね。思いついたものを、文章としてまとまっていようがいまいが、入れていって、さほどの手間もなく、推敲し構成すれば文章が作れるのですから」 戦前はともかく戦後の学校教育では、思いついたことをカードにとったり、大きな紙 に書き入れて、それをつなぎあわせて一つの文章を作るやり方を教えてきたが、まさに ワープロはそうした作業にはうってつけなのである。 「ワープロの普及によって、日本人の文章行動というのはいままでよりも活発になると いえるでしょう」 またワープロは、現代仮名遣いに従って、正しく入力しないと、漢字に変換してくれ ない。ということは、 「いい意味での、言語の標準化に役立ちます。日本人が持っているべき日本語の共通の内容というものを、ある程度絞りこむことになります」 ところが、これは盾の両面のように、マイナス面を合わせ持っている。 (P2) 「たとえば、思いつきをメモする場合、手書きのメモならば、文章として整っていなくても、言葉として正しくなくても可能でした。一方、ワープロのメモとなると、そこが融通がきかない。間違えると字がでない。つまり、ワープロには、言語の自由な活力を抑えてしまう危惧がなきにしもあらずです」 また別の極端な例をあげれば、 「東京の下町生まれの人は、ワープロでいくらシジツと打っても、手術がでてこないということがありうる。その人はもちろん、シュジュツという言葉も手術という漢字も知っている。自分は懸命にシジツと打っていて、それではでないということがありうるわけです。ワープロは自由に書けるはずの文章を、規範性の方へと近づけてしまうことになります」 そこで野村先生は、推名誠や橋本治という作家たちの名前をあげた。 「こうした作家のかなの多い文章は、いまのワープロには乗りにくい。個性的な文章をワープロで書こうとすれば、手間がかかって仕方がない」  いまのワープロが個性的な文章を排除しているというのは、やはり事実だろう。では、 ワープロが進歩すれば、個性的な文章までが書けるようになるか。それとも逆の方向に進むのか。  そこで問題になるのが、ワープロの文章一括変換という機能である。 「現在の文章一括変換の機能はとうてい、使いものになりませんね。しかし、もし、文章一括変換の機能が格段に進歩するなら、日本語には大きな影響があるでしょう」 (topic three) 機械翻訳と日本語の未来との密接な関連 「ワープロの機能が現在のように改善されてきた背景にあるのが、機械翻訳のです。機械翻訳では、日本語を英語に訳すにしても、入力された日本語を解析しないといけない。その構文解析の技術がワープロに生かされ、ワープロの進歩につながっている」 ただし、機械翻訳も現在壁にぶつかっているらしい。もしもそれがさらに進歩して、そ の新技術がワープロに応用され、文章一括変換の機能が拡充されるなら、どうなるか。「文法的に合っていれば、一度に多くの文章を変換してくれるということになると、これはかなり日本語に影響を及ぼすはずです。現在のワープロは単語や文字のレべルで我々を規範に縛りつけているにすぎませんが、それが構文のレベルまで及ぶとなると話は別でしょう」  まず、そのよい面では、 「日本人の思考が論理的になることや、我々が変換されやすい、わかりやすい短い文章を書くようになることなどがあげられるでしょう」  一方、それが日本語および日本人にマイナスになる可能性もなくはない。  「たとえば主語がきちんと入っていないと、変換効率が悪いとなれば、我々が主語の入った文を書くようになることも考えられます。そこまでいけば、確実に日本語が変わります。そしてそのときには、今度は本格的に、文章の個性の問題が浮かび上がってくることになるでしょう」  それは、もはや職業的な作家のような個性的な文章を書けるかどうかという問題ではない。我々が機械に合った思考法に慣らされるか、それとも、単なる道具として使いこなしていけるかどうか。その二者択一が問題になるだろう。 「ワープロが我々の思考や発想を縛ることにつながる危惧はないとはいえないでしょう。さらにまた、試作品の段階にある音声ワープロが実用化され、一般化されるなら、これはもっと日本語を変えるきっかけとなると思います。日本人の話し方自体に大きな影響を与えるはずです」  確かに、ワープロは文書作成のための道具に過ぎないから、それによって日本語が変わるというのは本末転倒であるという主張も根強い。  しかし、今回見てきたように、ワープロが日本語を変える可能性は高い。現に日本語は変わりつつあるといえるかもしれない。そういう認識に立ったとき、いま一度見直す必要があるのは、我々が手で書くことの意義ではないだろうか。 (picture insert) 東京工業大字田中穂積教授研究室にて。田中教授によれば、いまの機械翻訳のシステムでは、計算機が文脈を読むことができない等の数々の難問があると いう。専門用語が頻出する大学の情報工学科の論文や天気予報などの限定されたジャンルにはかなり対応できるが、小学校低学年の文を入れるとメチャメチャになる。「にわとりがいた」とあると、鶏がいたのか、2羽鳥がいたのかで全然違う。これを計算機に決めさせるのは非常に難しいらしい。現在、通産省で、EDRというプロジェクトが進行中。文脈の読み方なども含んだ、大規模な知識を持った辞書をコンピューターに打ち込むというものだ。これが21世紀の機械翻訳の発展の鍵を握る。