金田一春彦「日本語・下」 pp146ー151 (P146)     ニ 語彙の構成  和語  日本語の語彙は、大きく見て、和語と漢語と洋語、およびそれらの混成語の四つに分けられる。〈和語〉とは、生粋の日本語と言うべきもので、外国と言語の上での交渉の行われる前から日本語の中にあったもの、およびそれの変形、組合わせ、またはそれに見習って新造した単語である。あめ(雨)・かぜ(風)・やま(山)・かわ(川)・ひと〈人)・いのち(命)、あるいは、ゆ(行)く・く(来)る・ある・ない…など、言葉と言ってまず思い浮かぶ言葉がそれである。ただし、発音は昔とちがっていたものもあるはずで、「川」は、古くはkapaであり、「命」は、古くは、inotiであったろうと推定される。形は「か」(蚊)のような一拍のものから「あおばありがたはねかくし」(青超蟻形隠超虫)といった長大なものに及び、中には、英語などでは単語として存在しない「あおぞら」「あきかぜ」「あさせ」「あさつゆ」のような、美しいものを連想させる単語も多い。 (P147) の種類でいうと、名詞・動詞・形容詞……といったすべての品詞にわたって存在し、ことに、助詞のような付属語といわれる単語は、すべて和語ばかりと言ってよい。動詞・形容詞のような言葉も、複合語には、漢語や洋語に由来するものがあるが、それでも「……する」とか「……な」とかいう語尾の部分はすべて和語に由来する。使用頻度数からいくと、名詞などでも頻度の高いものは和語が大部分を占めるから、日常の言語生活でも、はなはだ重要な部分を占める。これらはまた派生語を作り、複合語を作るが、和語の複合語ははじめて耳にしても、その意味が明瞭であるのが特徴であり、長所である。先の「村育ち」「町娘」など、いずれもその例だ。意味がわかりやすいために、それらは辞書に掲載されないことがある。  野球用語でも、「から振り」「振りにげ」「すべり込み」など、和語のものははなはだ明快だ。ただし、最近は「おちこぼれ」とか「いじめ」とか、とかくあまりよい意味でないものに和語が多く使われる傾向があるのは残念だ。しかし、昭和四○年代ごろから、洗濯機に「うずしお」、扇風機に「ひなげし」、テレビに「いわお」、ステレオに「うたげ」など、洋風の器械類に和語の名がつけられているのは注目に値する。  漢語と和製漢語 (P148)  次に〈漢語〉は〈字音語〉とも言い、上代、大陸と交際が開けて以来、中国から、直接にまたは間接に輸入された単語、およびそれをまねして作った単語である。中国から入って来た単語はすべて漢字で書かれる単語として入って来たもので、日本で生まれた漢語も漢字をもとにして作られた。「天地」とか「太陽」とか、あるいは「立春」とか「風雨」とかいうのは、中国から来たオーソドックスな漢語である。こういうものは、中国では必ずしも単語ではないが、少なくとも中国人に意義が通じる単語である。これに対して、「油断」や「怪我」などは、日本で作った漢語で、いわば〈和製漢語〉である。  中国から来た漢語はもともと中国語をまねして発音されたもので、昔の中国語そのままだったはずであるが、日本に渡来してから、日本化し、また日本でほかの和語と同じように変化したので、今では、口で発音したのでは多くは中国人には通じなくなっている。「豆腐」や「欄杆」はそのまま中国人に通じる珍しい例だ。ただし、漢字を使って文字で書けば通じるはずである。中には中国では古語になってしまっているものもあるが学問のある人はみなわかる。  漢語の構造   中国から来た漢語は、語の組立が中国式になっていて、日本語とは順序が逆になっているものがある。「立春」「降雨」「修身」「建国」などはそれであるが、和製漢語は、しばしば日本語流に語を重ねて作るので、中国語とは逆になっているものがある。「心配」や「体操」はそれだ。中には、「盲導犬」のように、中国人が意味を誤解しそうなものもある。  しかし、中には中国語の語順によって作ったものもある。「革命」や「断交」あるいは「不動産」「非現実」などはこれだ。このような造語法は、戦後は、「脱サラ」「省エネ」 のような洋語を一部分とした複合語にも及んでいる。 (P149)  和製漢語は、明治維新後に欧米の文物を輸入し、ヨーロッパ系の外国語に接した時にたくさんできた。ヨーロッパ語のまま取り入れたのではわかりにくく、と言って、和語には訳しにくい。というわけで漢字の力を借りて、漢語を新造した。「哲学」「科学」「文化」「社会」などすべてそうである。この傾向は以後もつづき、「映画」「放送」などもすべて和製漢語である。このような漢語は朝鮮語に輸出され、また、中国に逆輸入されたものもある。  このようにして数多くの和製漢語ができたことから、漢語の数は非常に多い。一般の国語辞典を見ると、和語の数を遥かに超えている。日常使われている単語の延べ総数では少ないが、新聞その他に用いられるものは相当の数に達する。これは、朝鮮語・ヴェトナム語その他、中国の隣りに位置し、中国文化の影響を大きく受けた民族の言語に共通の性質である。  漢語は、目で見れば漢字によってその大体の意味は見当がつく。ただし、耳に聞いた時にはそうはいかない。漢字一字の音は、現在では数が限られているので、同音語が多いこと、あとに述べる。  漢語と日本人 (P150)  一般の日本人は、漢語を和語同様、固有の日本語と思いこんでいる傾向がある。カタカナの単語の排撃を叫ぶ人たちも、漢語は排斥するのを忘れていた。第二次世界大戦末期のころ、何でも外来語はいけないということで、野球用語もストライクとかボールとかはすべて言い換えられる一幕があった。ストライクは「よし」、ワンストライクは「よし一本」、三振を取れば「三振、それまで」、ボールの方はジェスチュアにたよって「ひとつ」、アウトになると「退け」と言えと定めたが、この場合、「一本」というようなのは漢語であるが、当時戦火を交えていた中国からの外来語であるということで咎められることはなかったようだった。  しかし、和語と漢語のちがいは全然感じられていないわけではない。接頭語の「お」「ご」を付けさせると、和語の方は「お望み」「お出かけ」「おかわり」「おかげ」…と、「お」がつくが、漢語の方は「ご希望」「ご旅行」「ご存じ」「ご高恩」…のように「ご」がつく。時には、「お辞儀」「お天気」のような例外もあるが、かなりはっきり分かれているといっていい。  漢語は中国文化に対する日本人の尊崇の気持から、和語より一段高いものと見られて来た。そのために、「今日(こんにち)」は「きょう」より、「昨日(さくじつ)」は「きのう」より格が上というわけで、「今日」「昨日」の方は「昨日は参りませんでした」というような丁寧体の文脈専用だった。「昨日は行かなかったよ」のような文脈には「きのう」の方が用いられる。「ちかめ」というより「近眼」の方が、言われても不快ではないというようなのはその伝で、 失念といえば聞きよい物忘れ という川柳もこの間の消息を物語る。 (P151)  洋語  次に〈洋語〉の方は、一部は戦国時代以来、ポルトガル語・スペイン語・オランダ語から、大部分は明治維新以後、英語をはじめとしてドイツ語・フランス語・イタリア語・ロシア語などから多くの語彙が入ってきた。〈外来語〉と普通に呼ばれているが、漢語も実は外来語であるから、「洋語」と呼ぶ方が正しい。  英語から来たものは、中でもその数が最も多く、明治のころは新しい機械・道具類、社会制度の名、科学・哲学上の概念などの名が多かったが、現在では諸文化全般にわたっていると言っていい。戦後はアメリカから入った米語もあり、サッカー、カクテル、ナンセンスのように、oをアの音で発音することですぐ分かる。  英語以外で注意すべきものに、フランス語から入って来たものがある。芸術用語、文芸用語、料理用語、美容・服飾用語に多いが、ほかに、古くはゲートル、マントのような軍隊用語が少しあった。これは、江戸時代末期に、徳川幕府が、フランスの軍人をやとって軍事教練をやったからで、フランス語を直訳したために、号令には、「回れ右」とか「捧げ銃(つつ)」とか、動詞を先に、名詞をあとに言うものが少々あり、これが一般の用語となった。   同じような意味をもつ和語・漢語・洋語を比べると、洋語が最も高い程度のものをさす傾向があるのははずかしいことだ。